仏の顔も三度まで

 新しい年が始まりました。本年もよろしくお願いいたします。
 

 武者小路実篤の戯曲『わしも知らない』は、お釈迦さまの説話を元に描かれています。執筆は武者小路二十八歳の大正三年、翌四年に文藝座により帝劇で初演されています。お釈迦さまが出られた釈迦族は、コーサラ国とマガダ国という二つの強大な国に挟まれた小さな、しかし誇り高い民族でした。ある事をきっかけに、コーサラ国のビルリ王が何としても釈迦族を壊滅させようと企て、物語はお釈迦さまのお弟子である目連尊者が、目の前で遊ぶ子ども達のいのちを助けてもらうよう、お釈迦さまに頼むところから始まります。お釈迦さまは「わしだって助けたい。しかし助けることができない。それがこの世の運命なのだ」と言い、次のように目連尊者を諭します。「すべてのことは過ぎてゆく。過ぎてゆく嵐だ。過ぎてゆく洪水だ。過ぎてゆく戦いだ。死屍はいくら山を築こうとも、血はよし川の如く流れようとも、断末魔の叫びは天地に響こうとも必ず過ぎてゆく。そうしてゆく先は海だ。涅槃だ」。そして、言いようのない沈黙が二人に流れた後、場面が変わりビルリ王による、この世のものと思えない殺戮が繰り広げられます。釈迦族の大人はいわずもがな、釈迦族の五百人の男児は轢き殺され、五百人の女児は池に埋められ、釈迦族はお釈迦さまお一人を残して絶えてしまうのです。なぜそこまでしてビルリ王は釈迦族を憎んだのか。


 これは前段となる説話ですが、従属する釈迦族からコーサラ国が妃を迎えようとしたところ、釈迦族では「わたしたちの民族は先祖以来誇り高い。なぜ卑しい民族に娘を嫁がせねばならないのか」とする意見があり、一計を案じた大臣が自らと下女との間に生まれた娘を「釈迦族の王族の娘」と偽って嫁入りさせ、そして生まれたのがビルリ王でした。ビルリ王八歳のとき、弓術の修練を積もうと母の実家である釈迦族の城へ行き、王族しか座ることの許されない玉座にビルリ王子が登ったところ、釈迦族の人々は驚き、玉座から少年を引きずりおろし、鞭で打ちました。「お前は下女の産んだ子だ。玉座に坐るなどもっての外だ」と口々に言うのが聞こえ、出自の真実を知ったビルリ王子は少年ながら釈迦族への復讐を胸に刻みました。
 成人したビルリ王子は父王の留守を狙って王位を奪い、王となりました。そしてさっそく釈迦族への復讐のため、軍を進め、それを知ったお釈迦さまは一本の枯れ木の下に坐って、ビルリ王を待ちました。ビルリ王がお釈迦さまを見て、「世尊よ、ほかに青々と茂った木があるのに、なぜ枯れ木の下にお坐りになっているのですか」と尋ねると、お釈迦さまは静かにこう答えました。「王よ、親族の陰は涼しいものである」。その答えを聞いた途端、これ以上の進軍をあきらめ、ビルリ王はコーサラ国へと戻っていきました。やがて時が経ち、憎しみ冷めぬビルリ王は二度目の進軍を決め、軍隊を進めましたが、またしても枯れ木の下に坐るお釈迦さまに諭され、時が今でないことを悟り、再び引き返しました。さらに時が過ぎてビルリ王は三度目の進軍を謀りますが、またしてもお釈迦さまに行く手を阻まれ、あえなく撤退しました。そして四度目。お釈迦さまは宿縁の深さと事態の止め難きを知り、枯れ木の下で待つことをそれ以上なさいませんでした。ビルリ王は釈迦族のカピラ城を攻め落とし、残虐の限りを尽くして釈迦族を壊滅させました。日本のことわざに「仏の顔も三度まで」とあるのは、この故事に依ります。


 もう一度、武者小路の作品に戻ります。五百人の女児を埋めた池に築かれた城で、戦に完勝し積年の恨みを晴らしたビルリ王は連日宴を催していましたが、その城は建って七日目で焼け、城にいる者全員が焼け死ぬという風評がありました。期せずして七日目、風評のなかで働き、ついに気が触れた女が城に火をつけます。城の最上階にいたビルリ王は下層がすべて炎に包まれているのを見て自らの最後を悟り、籠姫を殺し、臣下と胸をつらぬき合って死にました。場面が変わって翌朝、うららかな朝日が差し込み、小鳥がさえずっています。昨夜までのことは、恐ろしい夢のようでもあります。お釈迦さまが目連に語ります。「すべてのものは何事もないような顔をしている。そうして道ゆく人に逢えば多くの人は何事も知らないような顔をしていよう。カピラ城の滅亡もビルリ王の宮殿の焼けたことも彼らはただ笑い話にすますであろう。わしは彼らのためにそれを喜ぶものだ。だがわしはわが教に従ってすべての人が調和して生きてゆくことを望んでいる。そうしてそういう時の来るのを夢想している」


目連「そういう時が参りましょうか」

釈尊「くる」
目連「いつそういう時が参りましょう」

釈尊「それはわしも知らない」(終幕)


 仏の顔も三度まで。それは仏様がわたしに、その人生を賭して呼びかけてくださるご縁が、その人の生涯に三度はあるのだという意味にも取れます。わたしはこれまでに何度の仏縁に遇ったでしょう。残された人生で、あと何度の仏縁に遇うでしょう。そしてその仏縁を、わたしはありがたくいただいて生きているでしょうか。(住職)