お寺が消える

 日本人の多くは正月の初詣や七五三で神社へお参りし、お盆やお彼岸はお墓へお参りし、結婚式はキリスト教でおこなって、お葬式は仏教という形が定着していて、これらは一見無節操にみえますが、日本人は宗教を軽んじているかといえば、そうでもないと思います。世論調査で「あなたは何らかの宗教団体へ加入していますか」と尋ねると「はい」と答える方は一割前後に過ぎないそうで、しかし初詣やお墓参りに九割もの人が参加するということは、特定の宗教宗派を信じたり属する人は少ないものの、何らかの宗教性を日々重んじている、これは世界的にみて特異な国民と言えるでしょう。

 その、日本人の生活に溶け込んできた神社やお寺が、消える時代になりました。人の生き死にのあらゆる場面に関わってきたお寺、そしてお祭りや七五三、結婚式といったお祝いごとと密接にかかわってきた神社は、少子高齢化や人口の一極集中、地方の過疎化や地縁血縁が薄らいだことなど、理由はさまざまあるでしょう。日本創生会議の座長を務める増田寛也元総務大臣が中心となってまとめ、話題になった「消滅可能性都市」という言葉をご存じでしょうか。全国で896もの自治体が2040年までに消える可能性があると、その会議では指摘しました。実際に市町村が消えるわけではなく、人が住まなくなって行政サービスの維持が困難になるということですけれど、それはつまり、その市町村にある神社やお寺も維持が困難になり、存続が難しくなる可能性があるということでもあります。具体的な宗派を挙げると、高野山真言宗や曹洞宗、神社本庁、黒住教などでは25年後までに40パーセントものお寺や神社が消えると言う専門家もいます。
 

 このたび、淨泉寺の本堂の改修工事が終わり、ご本尊である阿弥陀如来像が富山県内の浄土真宗本願寺派のお寺の本堂から正式にお遷りになられました。このお寺は平成17年に解散されています。私が生まれ育ったお寺の隣りにあり、幼少時遊んだ記憶もあります。このお寺はかつて、香華につつまれた本堂を熱心な門信徒が埋め、お経とお念仏で本堂は打ち震えていました。ご本尊様にはたくさんの方が手を合わせ、そしてたくさんの方がこのご本尊様に見送られてお浄土へ還っていかれました。お浄土でまた会おうねと、おっしゃっているかのお顔をなさっています。お寺は安心して死ねる場であり、だからこそ安心して生きる場でした。しかしご住職がご病気になり、後継住職がいないなかで活動の継続は難しく、ご本尊様は本堂にしばらくの間、ひっそりとたたずんでおられました。誰からも手を合わされることなく、ひっそりと。ご縁あって私が埼玉にお寺を建立する発願をして、忘れもしない平成23年6月20日、このご本尊様をお迎えに参りました。新たにお寺を建立するなら、ご本尊様も新たにお造りするのもひとつの考えですが、お寺が解散になった後に宝物類をお預かりしていた富山浄泉寺の住職の、さらに病床にあったご住職皆さまのご意見で、こちらのご本尊様とお仏具を使いたい(不遜な表現ですが)と思っておりました。以来4年に渡り借家で活動した時代、そして当地を購入して移転してからは仮本堂として、窮屈な場所で、思うように参拝者も集まらず、ご本尊様にはご不便をおかけし通しでした。だからこそ先日6月12日早朝、ご本尊様をご安置し、初めてのおつとめをしていて、胸にこみあげるものがございました。そのときの想いを、私は終生忘れないでしょう。

 富山県でお寺が消え、埼玉県でお寺が新たにできました。淨泉寺のように新たに開かれたお寺も、維持が困難になる時代が必ずや来ます。人の世はすべて、浮き沈みでできています。浮かぶときがあれば必ず沈むときがあり、形あるものは消えゆく。ゆえに、安住せずに精進を続けなさいと、お釈迦さまはご遺言なさいました。これからも精一杯精進させていただきます。皆様どうぞよろしくお願いいたします。(住職)