なぜ名をとなえるのか

六字名号
六字名号

「南無阿弥陀仏」の南無とは梵語のnamasに由来する「まかせる」という言葉ですから、わたしたちが口に称えるお念仏は「誓願とすくいにおまかせします、受け入れます」という意味です。また阿弥陀如来の名前をとなえる意味もあります。浄土教の念仏、真言密教ではタントラ(真言)など、仏名をとなえるようになったのはしかし、大乗仏教以降になってからのようです。

 釈尊は清く正しく生きる道を目指して実践されました。釈尊没後、その教えはガンダーラで知られる中央アジアに伝播し、シルクロードを往来する東西文明に触れたことで、次第に「思索を深める」とか「清く正しく生きる」といった側面よりも、「人間を超越した存在に守られる安心」や「すくい」が強く求められるようになりました。つまり、「仏像などの偶像を崇拝することによる安心」と「仏名や経題をとなえることによるすくい」は、ギリシャ、中国の東西文明を知る中央アジアの商人が強く望んだことが背景にあったと考えられています。
仏教だけでなくキリスト教、イスラム教でも神の名をとなえ、讃えます。尊い名をとなえることは自らを浄化すると信じられてきた古来より、わたしたち人類は安心とすくいを求めて名前をとなえます。名前をとなえることは人類が抱える不安を打ち消そうとする、根源的な営みです。

 釈尊の残した教えが中央アジアに伝播したことで、他宗教との混淆が進みました。出家者は欲望を断ち切った静かな境地を求めることに変わりないものの、在家者は現世における利益と安穏を、そして少しでも善い来世の保証を望みました。在家者は思索するよりも、瞑想するよりも、戒律を守るよりも、端的な結果を求めるようになったのです。次第に在家者が守るべき六つのことがらが語られるようになりました。それを六波羅蜜(ろくはらみつ)といいます。

   布施(ふせ)…分け与えること
   持戒(じかい)…清く正しく生きること
   忍辱(にんにく)…耐え忍ぶこと
   精進(しょうじん)…努め励むこと
   禅定(ぜんじょう)…静かに考えること
   智慧(ちえ)…ありのままに見ること

 どれだけ帰依したか、どれだけ献身したかが具体的に表れる布施の量や、礼拝の回数が果報の多少を決めると在家者は考えました。ガンダーラでは豊かな経済力を背景に、商人が競って仏塔を建て、仏像を彫りました。仏の超越的な力を表現したバーミヤンの石仏は、商人の商業的で即物的な発想と無縁ではありません。大乗以前に考えられなかった仏名をとなえるということも、わかりやすさを求める土壌のなかで育まれたと考えられています。仏教が他宗教に触れ、多くの民族に受け入れられていく過程で、わかりやすさが求められたと同時に、後世の人間の考えが入りやすくなったことも確かです。


 親鸞聖人は「易行―浄土門」「難行―聖道門」という対比で念仏往生が究極の易行であると説明されているにもかかわらず、「易行だけれども経を何回も読まねば往生できない」「学問も必要だ」などとする異解が生まれやすいのも、仏教がたどった歴史と重なります。「阿弥陀如来の名前をとなえる以外に、何もいらない」という親鸞聖人のお考えは、名号(みょうごう)本尊(上写真、模造)に強く表れています。生涯をかけて名号本尊だけに掌(てのひら)を合わされた親鸞聖人には、自らを南無阿弥陀仏と名乗り、南無阿弥陀仏のなかに願いを込め、わたしたちに名をとなえることだけを薦められた阿弥陀如来でした。その阿弥陀如来を礼拝するとき名号本尊に合掌する、それは南無阿弥陀仏そのままの「名前をいただくこと」を意味します。仏教の長い長い歴史を経て、時空を超えて、名前に込められたすくいといただくことです。名前をとなえるだけですくわれるのは下等な教えだとするのは,当事者でない方の意見でしょう。生死の苦海に漂う当事者として、親鸞聖人は南無阿弥陀仏の名前をとなえる以外、何も必要ないし、役立たないことを強く訴えられたのです。