映画「崖の上のポニョ」に仏さまの世界を感じます

宮崎駿監督のアニメーション映画「崖の上のポニョ」を見ました。これは海に棲むさかなの子ポニョが、5歳の男児、宗介と一緒に生きたいと、わがままをつらぬき通す物語です。


さかなの子ポニョには稚魚のいもうとが沢山いて、そのいもうと達の助けを借りて、父の魔法を盗んで5歳の女の子に姿を変え、狭い水球のなかでの生活を抜け出すところから、海面を覆う多くの魚の背を走るようにして岸へ向かい、お目当ての宗介が住む崖の上の一軒家へたどり着くところまでが、ひとつの山場として描かれています。


観る者を引きずり込む圧倒的な迫力の映像が本当に素晴らしく、しかしもうひとつ特筆すべきことを挙げるとすれば、描かれている世界観が仏教の世界観に似ている点です。宮崎駿監督は宗教色を払拭して、子ども達の愛と冒険を描かれており、「仏教からモチーフを得ているのでは?」というのはわたしの邪推に過ぎません。つまり、「仏教にも同じような世界が描かれている」という程度と思ってください。


いもうと達はポニョを助けたい、思いを叶えてあげたい。応援するたくさんのいもうと達が、ポニョを先頭に海のなかを進んでいる姿は、仏説無量寿経や仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経に説かれた「諸菩薩が阿弥陀如来をほめ讃え、来迎する図」にとてもよく似ているなと、わたしは思いました。おすくいくださる阿弥陀如来が、たったひとりでは寂しい。できれば、数々の菩薩がみんなで阿弥陀如来を支え、ともに行動したうえでわたしを救ってくださるほうが良いなあと、誰しも思うはずです。阿弥陀如来を中心としたお浄土と世界観は、そのような経緯をたどってお釈迦様没後に作り出されたものですから、お経が発達する以前から人類の願望にあった、わたしたちひとりひとりを、みんなで応援し、支え、ともに行動してくれる共同体を望む声が大きく、お経に反映されたのではないかとわたしは思います。

 

大きな宇宙にはいろんな名前の仏さまと菩薩さまがおいでになる。いろいろあるんだけれども、阿弥陀如来が一番強く、一番お優しいというのが、三つのお経の根底に流れています。そのメッセージはお坊さんの世界だけで発達したのではなく、宗教も言語も肌の色も違うすべての人類共通の願いとして、それがお経に反映されたに過ぎません。ポニョに描かれた世界がわたしたちの胸を打つのと同じように、これらのお経を読んだご先祖さまの胸にも「あなたをひとりにしない。みんなで応援しているよ」というメッセージがきっと届いたことでしょう。