浄土真宗本願寺派の仏教讃歌

 浄土真宗本願寺派の仏教讃歌は明治時代から作詞作曲されるようになり、これまでに270曲あまりが作られ、国内にとどまらず海外に渡った日系人の間でも歌われてきました。教会音楽に比べ歴史も数も及びませんが、一曲一曲こころの琴線に触れるものがあります。

 

念仏
   作詞 山本有希子
   作曲 森  琢磨
   (2003年発表)

1.南無阿弥陀仏 となえれば
  憂いの心 波にきえ
  南無阿弥陀仏 となえれば
  無量の光 際もなし

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

2.南無阿弥陀仏 となえれば
 無明の闇に 光満ち
 南無阿弥陀仏 となえれば
 永久に尽きせぬ 歓喜のいのち

 南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏

 

「念仏」は念仏が湧き出てくるようにとの願いから生まれた曲です。阿弥陀如来の名を口にするとき、はかり知れない光といのち(無量光と無量壽)が苦悩を抱えたままのわたしを照らします。

 

 

 

やさしさにであったら
   作詞 久井ひろ子
   作曲 湯山  昭
   (1982年発表)

1.やさしさに であったら
  よろこびを 分けてあげよう
  しあわせと おもったら
  ほほえみを かわしていこう
  海をふく 風のように
  さわやかな おもいそえて

2.さびしさを かんじたら
  だれかに 声をかけよう
  ふれあいを たいせつに
  語りあう 友をつくろう
  花の輪を つなぐように
  とりどりの おもいつないで

3.くるしみに であったら
  ひたすらに たえていこう
  合わす掌の ぬくもりに
  ほのぼのと やすらぐこころ
  かぎりない ひかりのなかに
  生かされて 生きてゆく日々

 

 

 また、「やさしさにであったら」は仏教婦人会設立150年記念の公募作品から選ばれた詩です。詞を書いた久井さんは当時57歳、浄土真宗が盛んな広島県にお住まいの一般女性です。戦争のなかで青春時代を過ごされたから、「くるしみにであったら ひたすらにたえていこう」という強い詩になったのでしょうか。それでもなお、わが人生を振り返って「生かされて 生きてゆく日々」と言える穏やかな人は、本当に素敵だと思います。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    迫田佳鈴 (月曜日, 18 5月 2020 20:19)

    佛教人です