お釈迦さまの道は「和をもって貴しとなす」

検察OBの知人は真剣な眼差しで言いました。「ご住職、罪を罰するとはどういうことか長年考えてきたけれども、答えが見つからない。仏教では一体どう説くのでしょう」。話はその方が現役検事だった頃にさかのぼります。資産家の夫人が自宅で殺された事件を担当、その事件は、刑務所服役中に知り合った三人の男が出所後、強盗目的で資産家の自宅へ忍び込み、居合わせた夫人の首を絞めて殺害に及んだものでした。男たちは実行犯と見張り役にそれぞれ役割を分けましたが、結果的に刑もそこで大きく分かれ、実行犯の男ふたりは死刑、見張り役だった男は懲役刑でした。「その殺害方法は残忍でしたが、いま思えば実行犯が自供した、その自供さえなければふたりの男が死刑になることはなかった。私はいまこの年齢になって、そのことが頭から離れません」。犯行が行われた部屋 の壁と床には、手の指でついたと思われる深い爪痕が残り、被害者の手指の爪には血痕が付着していたそうです。被害者がいかに苦しんだか、凄惨な状況に目の前が暗くなる思いです。

 

実行犯の取り調べは、その方と後輩のふたりで臨みました。男はなかなか自供せず、取り調べが 遅々として進まないなか、その方が手洗いに中座して戻ってくると、聴取室の空気はなぜか一変していました。男が殺害時の様子、殺害後も執拗に首を二度絞め た経緯を少しずつ話し始めていたのです。犯行現場を調べただけでは首を二度締めたことまで分からず、男が自供しなければそのまま闇に葬られていた事実で す。後輩から後に聞いたのは、手洗いに中座した時、金の懐中時計を机に置いたまま、聴取室を出た。残った後輩がその時計を指差し、「あの検事は大学を主席 で卒業された優秀で将来を有望視された人だ。正直に言えば再犯のお前も必ず刑を軽くしてくれる。話したほうがいいぞ」。そんなことをあのとき言ったと。この時の自供はすべて調書に記録され、その後しばらくしてこの方は別の任地へ異動。公判を引き継いだ先輩検事から、しばらくして電話がありました。「調書を読んだ限り、私は死刑求刑が妥当だと思うが、求刑が空欄のままだったので君の意見を聞きたい」というものでした。「あの時、あの自供を聞きさえしなければ。せめてトイレに立ったのがもうひとりの検察官で、私一人がその自供を聞いていて調書に書かずに済ませば、男は懲役刑で済んだのではないか。見張り役の 男のほうが非道な男だったのに、不公平だ」。いろんなことが頭の中を一瞬にして駆け巡りましたが、「先輩がそう思われるなら、そう進めてください」と受話 器に向かって言うのがやっとでした。

 

男は死刑判決を受け、執行されました。執行書類に署名する法務大臣も、執行のボタンを押す執行官も、死んだことを確認する検死官も、死刑につながる調書を作る検事も、一様に苦痛を感じて生きていることを、この方から伺って、わたしは 初めて知りました。最近は一般市民も裁判員として参加するようになり、死刑判決の瀬戸際で心に深い傷を負うケースがあるとも聞きます。法治国家において罪 を裁くことは法に基づいていても、法を作るのは人ですから、人が人を裁いていることに変わりはありません。では、仏教は罪を罰すること、人を裁くことをどう考えていいるか。仏教は世俗に関せず、すべてに空を説き、すべてを肯定し否定し、すべては赦され、他を怨んではならず、本質的に善も悪もない中道であり、生きとし生けるすべてが仏と考え、私を含めみんな悪人と見るなど、視点がさまざまあるなかで、ゆえに裁くこともせず、罪を罰することもない立場だと言えます。

 

その一方、お釈迦さまはお弟子に集団生活を求め、ルールを定め、ルールに反することを戒めました。仏教では 三宝を敬いますが、三つの宝のひとつ僧宝とは集団生活の大切さとそのなかでのルールを守ることをセットにして考えるものです。聖徳太子が十七条憲法で「和をもって貴しとなす」とお示しになられたのは、和合を旨とする仏教の根幹にあるおこころでした。罪を犯した者も罪を罰する者も本質的に赦されるかどうかは 永遠に正解のないテーマですが、お釈迦さまのメッセージを受け止めるならば、永遠の真理があるにせよ、決してそれを振りかざすことなく、どこまでも和合を目指すことの尊さではないかと思うのです。(住職)