宿業とは何を言うのでしょう

中村久子さん
中村久子さん

歎異抄第13章の冒頭、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」という親鸞聖人のお言葉をもとに、わたしたちの罪は宿業から起こるという主題が提示されています。宿業とは難解な言葉です。歎異抄ではこの章と後序以外に例がなく、「宿世における業」を指しますが、そこにも説明が必要です。宿は「やどる」のほか「長い」「古い」「もとからの」という意味で、宿世は前世から現在に至る長い過去世となります。業とは「行為」を意味し、身(肉体)・口(言語)・意(意志)の三つに分けられます。宿世における因が現在の行為(果)となって報いると仏教では考え、「因果応報」(善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらすの意)と同じ場面で使われたことも数多くあるようです。宿業を言い換えた例としては「宿業とは本能である」(曽我量深師)、「個性である」(金子大栄師)という言葉もあります。しかし、ここまで書いてもまだ宿業は理解しづらい、つまりわたしたちに響かないのです。中世に一般的だった言葉と思想が、現代には通じにくくなっている側面があります。

 ところで、3歳の時に突発性脱疽から両手両足を失った中村久子さん(明治30年~昭和43年、写真)をご存じでしょうか。中村さんはお母さんがとても厳しいお人で、自分の口の中で針に糸を通すことが出来るよう仕込まれて自分で裁縫が出来るまでに育て上げられたそうです。中村さんの著書のなかに当時のお坊さんの言葉が出てきます。「手も足もないことは前世の業とあきらめて、この世を受け取って行かねばならない。その代わりに弥陀の本願を信じて念仏申すならば、次の世に極楽浄土に往生して仏になることが出来る」と。これに対して中村さんは、「然し手も足もないこれを前世の業と諦めなさいと言われても、素直にハイそうですかとあきらめ切れるものかどうか。先ずそうおっしゃるお方から御自身が手足を切って、体験を味わって頂きたいと私は思います。手も足もないこの悲しみはどれ位のものか私は六十年あまり過して来ましたが、決してあきらめることが出来ません。けれどもあきらめ切れない私の宿業の深さを如来のお光に照らして頂いて、どうにもならない自分を念仏によって見せて頂いておるのであります。南無阿弥陀仏」と、強い反発を表しておられます。忍従を強いて、極楽浄土に往生するという説き方で慰めるのが当時の説教でした。中村久子さんは続けます。「過去の仏教がただ頭から因縁だ宿業だ、あきらめろと一方的な観念で押しつけて、世の中の人々の間にだんだんこう言う観念が深く泌み込んで来たことが、悲しいかな、仏教を今日のような死んだも同然のものに追い込んだのだと言ったら言い過ぎでありましょうか」。

 誤解を恐れずに言えば、封建社会の身分制に安住した説教を続けてきたがために、もはや人の心に響かない説教になっている。これは何も宿業に限らない根深い問題ですが、まずここは宿業の意味を再考すべきと考えます。わたしなりに宿業を考えましたところ、「前に進むことも後ろへ下がることも難しいわたし」という表現になります。原発問題を取り巻く社会の趨勢や国際情勢を見るまでもなく、相対立する見解のもとで前に進むことも後ろへ下がることも難しい、それが現代世界の本当の姿です。東日本大震災から二年のなかで何度も耳にした「前に向かって進もう」のスローガンでは、何をもって前進とするのか、意味をわたしたちはうやむやにしたまま発しています。先人たちが宿業と言ったのは、そうした「人の力ではどうすることもできないもの」、「それを前にしたときに誰しも絶望せざるをえないもの」ではなかったかと思うのです。

 親鸞聖人は「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(歎異抄第13章)と、わたしの善悪は宿業のなかでいかようにも転じうると指摘されると同時に、善行悪行の加減で往生浄土していく考え方を誡められました。善行悪行の多寡で判断されすくわれていくのではない、宿業というわたし、わたしという宿業そのものに、本願ははたらくのだとおっしゃるのです。本願とはわたしをわたしひとりにさせないはたらきです。

 親鸞聖人の作られた歌に「煩悩菩提体無二と」(高僧和讃)、「煩悩菩提一味なり」(正像末和讃)とあり、煩悩そのものをさとりに転ずる本願力を讃えられています。本願に罪悪深重のわたしをおまかせする、それが本願ぼこりの真意だとおっしゃるのです。