親鸞聖人750回大遠忌法要を振り返って

昨年4月から勤修されてきた親鸞聖人750回大遠忌法要が本年1月16日ご満座を迎え円成いたしました。50年に一度の大遠忌法要の集大成となる御正当法要は、わたしが親鸞聖人に感謝を伝える法要でもあります。親鸞聖人は今から750年前の1263年1月16日、凍てつく京都で90年に及ぶご生涯を終えられました。何も頼りにならず混迷を深める世で、さとりを目指し、阿弥陀如来にまかせて生きる浄土の教えを弘め伝えられたご生涯でした。浄土とはわたしの前生と後生を貫くただ一つの道です。この道がなかったらどこから来てどこへ行くのか、わたしは何者なのかという人生の根本命題は解決できません。わたしの人生の根本に浄土の一本道が開けることが、ご信心をいただくということです。この教えは、親鸞聖人がいらっしゃらなかったならば伝えられることのなかった法です。親鸞聖人の御命日にあわせて毎年報恩講を、50年ごとに盛大に大遠忌をおつとめしてきた伝統にはそうした背景があります。

 

今回の大遠忌法要は65日間にわたり115座がつとめられ、総参拝者は143万人に上ります。本年1月9、10日の2日間、淨泉寺からも住職夫妻が法要に参拝いたしました。法要では本山でこれまでで最大という800号のろうそくが新たに作られ、用いられました。重さ3キロ、高さ54センチ、手作りのため1本が3万円と高価ですが一度に2本、午前午後計7日間の法要で28本用いるという規模の大きさです。一回り大きな1000号も試作されたものの、燃焼実験で使用に適さないと判明し、実際の法要には800号が用いられました。わたしは、富山淨泉寺前住職であり祖父の五条袈裟を身に着けて出勤です(下写真)。

ところで浄土真宗の東西本願寺は歴史的な縁と、近接して所在していることからも、たびたび比較されます。報恩講で耳にするのは「西の供物、東の華」という 言葉です。これは西本願寺は御供物、東本願寺は仏華がとくに立派という意味です。東本願寺の報恩講は毎年11月下旬、ご参拝の際はお荘厳のなかでもとくに 立派な仏華にご注目ください。西本願寺は供物がとくに立派です。今回の大遠忌法要期間中にお供えされた御供物は毎回28種類(1種類は1対)に上ります。 その内訳は落雁と餅が主で、羊羹、饅頭などの菓子も加え、さらに椎茸、昆布、蜜柑、干瓢、湯葉、寒天、花豆などに、季節物として金柑(4月)、柏餅(5 月)、青梅(6月)、酢橘(7月)、胡桃(9月)、栗(10月)、作柿(11月)、銀杏(1月)を各回入れ替えました。西本願寺門前の京菓子舗、亀屋陸奥 さんの職人の手で作られており、今回の御供物について「例年の御正忌報恩講の倍以上の数であり、どのような材料を用い、どう配色するかや図柄に苦労しまし た。今回は慶事ですので色、形の美しいものを選ぶよう努めました」(亀屋陸奥・河元正博さん)と話されています。下写真は例年の報恩講の御供物です。伝統 のなかで創造する職人の熱意に頭が下がります。